忙しくも充実の日々です。
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前回のメルマガで独立に必要なこと,を書いたところ,反響を頂いたので,第二弾。
続ける,ことについて考えます。
「三日,三月,三年」などと言われますが,仕事やスポーツ,恋愛などを続けることが苦しくなる周期は誰にでもあります。
以前に,離職率が高い介護業界を調査した方からお話を伺ったことがあります。高いモチベーションで入ってくる人たちが早い段階でやめていくので,話を聞いてみると,大抵が仕事の辛さを口にする,と。
一方で経営者に話を聞くと,やる気があって社員思いの人ばかりで,介護業界特有の事情はあまり見受けられないそうです。ただ,施設単位で見ると,経験の浅い新入社員が一人で夜勤を任されることなども多く,孤独に陥りやすいそうです。
対策として有効なのは,同じ会社や業界の同世代の仲間との交流の場をつくってあげること。目の前の問題が解決するわけではないけれど,つらいのは自分だけじゃないんだから,もう少し頑張ってみようかな,と思って,また元のモチベーションに戻っていく。そんなことを繰り返す内に徐々に続けられるようになるそうです。
世の中には様々な仕事がありますが,同じことが続いている人に共通していることが一つだけあります。それは,今日までやめなかった,ということです。
どんなに緻密な戦略を立てても,キャリアの最初から最後まで順風満帆という人はひとりもいないでしょう。取材で必ず聞かれる質問に,「やめようと思ったことはありますか?」がありますが,自分に関して言えば,そんなことは数知れないし,今でもやめようと思うことはあります。
僕は,一義的には,自分が美味しいと思う野菜をつくることが好きで,この仕事をしています。それをいかに実現するかが,人生をかけた「大きな課題」です。
一方で,それを実行する日々の中では,どういう道具で種蒔きをするか,スタッフとどう関係をつくるか,お客さんにどう伝えるか,という「小さな課題」が毎日発生します。小さな課題を解決することには小さな喜びがあります。仕事がうまくいっている時の日々は小さな喜びにあふれています。
小さな課題が解決しないで溜まっていく時もあります。日々はかなり苦しくなります。つい昨日まで楽しかったのに,いきなり辛くなることは今でもしょっちゅうです。
大きな課題や大きな喜び,は常に感じられるものではありません。日々直面しているのはむしろ小さな課題ばかりです。立ちはだかる課題が本当に苦しくなった時に,こんなにつらい思いをしてまで続けている意味はあるのだろうか,と逃げ出したくなります。そんな時に思い出すのが,ごくたまに感じられる大きな喜びや,自分を突き動かす大きな課題です。「これまでもしんどいことはあったけど,乗り越えた時に大きな喜びがあったよなぁ。」そう思い出して,逃げることをちょっとだけ思いとどまる。そんなことの繰り返しです。
人は弱い生き物です。目の前に苦しいことがあると,そのことばかり考えてしまいます。一流のスポーツ選手も,大経営者も皆同じではないでしょうか。同じ生き物なのですから。
同じことを続けている人は,才能や環境に恵まれただけではありません。目の前のつらさと喜びを天秤にかけて喜びの方に賭けてみる,という小さな戦いを延々と繰り返して来たから,今日もやめないでいられるのでしょう。そして,その自問自答はこの先も変わらず続いていくのでしょう。
つらいことはいつでも誰にでもやってきます。その時に問われているのは,実はつらさそのものよりも,秤のもう一つの皿に乗っている「喜び」や「好き」や「楽しみ」なのではないでしょうか。
あるときはお金のために,あるときはかわいいあの娘のために,ごくたまに大上段の大きな目的にために。あの手この手で楽しいことを思い出して秤に乗せて,目の前の辛さをやりすごすのが,続けるコツなのかもしれません。