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僕は20年前にサラリーマンを辞めて農業者として独立しました。
でも僕の下には,独立を夢見る若者が次々やってきます。他の地域にも,独立農業者,またはその予備軍の知り合いがたくさんいます。
美味しい野菜をつくる仲間を増やすことに協力したいと常に思っているので,独立する人たちへのサポートは僕の重要な仕事です。が,実際に独立して農業者として生きていける人は非常に少ないです。
これさえ満たしていれば必ず成功する条件,などというものは未だ見つかりませんが,最低限満たしているべき条件(必要条件)はいくつかあるように思います。
その一つは,「なぜ農業をしたいのか」という動機です。
今は情報にあふれているので,農業経営の類型化が進み,どんなスタイルの農業をやりたいかをすぐに調べ,参照することが出来ます。ウチでやっているような農業は,「小規模多品目直販型」などと呼ばれ,追随する人も多いです。何だか,農業のやり方がテンプレート化しているようです。
そんな状況を見ていて思うのは,僕自身はそういう出来上がった「型」に寄せてやってきたのではない,ということです。やりたいことをやってきた結果が今の形になっているだけです。今日やっていることは,模索と妥協を繰り返す中でたどり着いたある一日を切り取ったに過ぎません。明日からも,どうすればいいかを探し,迷い,形を変えながら毎日が続いていきます。もちろん,いろいろなことがコントロールしやすくなった充実感はありますが,先への不安は新人の頃と変わっておらず,何かを達成したという感覚はほとんど持っていません。
仕事を「回す」という表現があります。まがりになりにも回っている現場があれば,そこに乗っかって日々を進めていくことは可能です。そこで必要とされるのは,いかに (How)目の前のことをこなすか,という方法論です。実際,世のほとんどの人は,現場の慣性,否定的に言えば惰性に乗っかって日々をいかに回すかを考えて生きているのかもしれません。
しかし,慣性だけで回っているものはいつか必ず止まってしまいます。仕事に推進力を与えるには内燃機関が必要です。そのエンジンを動かすのは,己から湧き出るエネルギーです。その時に問われるのは,なぜ(Why)自分はその生き方をしているのか,なぜその仕事に取り組んでいるのか,という本質的な動機です。これは,いかに(How)上手に仕事をこなすか,という話とは異なる,内なる問いなのだと思います
他人のつくったテンプレートに乗っかるのではなく,独立して己の仕事をするのであれば,なぜそれをやるのか,という理由がないと,早晩推進力はなくなるような気がしています。僕自身も,仮の答えを見つけては,それを捨て,ということを繰り返しているだけで,正解にたどり着いた実感はありません。それでも,なぜ,を考え続ける意志がなければ,独立=己の旗を上げて世に問うという生き方は,続かないのではないでしょうか。